Tuesday, June 20, 2006

援助と外国 覚え書き

コース内なんかでは当然ないのだけど、もう少し一般的な「国際援助」系の講演なんかに行くと、多くの場合質問で「なぜ日本人が外まで行って人助けをしなくてはいけないのか」「自助努力が基本ではないのか」「税金の無駄じゃないのか」「日本の中にも問題があるのだから、才能が外に向くのは勿体ない」といった意見・質問が聞かれる。「日本人なのに」わざわざ外国に来ている人でさえそうなのだから、日本国内では意外とメジャーな意見なのかもしれない。

当然自分はこういう意見には反対する立場にいるんだけど、意外とClear cutな答えが考えられないでいる。講演なんかでも、ちょっとはぐらかしたような答えが多くて、質問者は納得していない様子(そもそも講演会後のQ&Aで「納得」しようとしている人なんてほとんどいない気がするけど)。ということで答えの候補を覚え書き。

・人類愛だから
恥ずかしながら、自分はこの意見に近い気がする。自分が長野県民であること、日本国民であること、Asianであること、そして地球人であることにそんなに根本的な違いがあるとは思えない。その意味で、外国だからって、困っている人を助ける(あぁ何て傲慢な言い方…)のを躊躇するのはおかしいんじゃ無いかと思う。勿論、日本の中にも貧困や問題は存在するわけだけど、それは途上国や紛争国の比ではないのだし。

・日本も助けて貰ったんだし
戦後の日本の発展には、確実に世界から助けて貰った側面がある。勿論、日本人の驚くべき努力もあったわけだけど、・元来教育レベルは高かった ・国民的な統一は強かった ・朝鮮特需 等の、幸運な要素もあったわけで、それらを除いたら、特にアメリカや世銀からの援助が無かったらあれほどまでの発展は望めなかっただろう。新幹線の建設にも、世銀からの援助が使われたんだよね。

・不安定はspiltする
これは日本の場合はあまり当てはまるケースではないけれど。グローバル化に伴って(がー、何て陳腐な常套句←これ自体も)、特に紛争問題は国境を越えることも多い。それを予防する意味での国際お助けは必要だ。また、問題が深刻化してからでは、その解消にかかる費用も増しているわけで、そうなる前に問題の芽を摘んでおくことも重要だろう。

・外交的に
好むと好まざると、国際的な貢献度は、その国の外交的なパワーに影響する。日本が国連安保理のメンバーに入るか入らないか、という議論の的になれるのは、その国際的な貢献度が最大の理由だ(そして同じ理由で、まだダメと言われるのだけど)。また、これはあまり望ましいことではないかもしれないけど、援助対象国への影響力も、援助量にある程度比例するだろう。それはアメリカinイラクや、中国inアフリカのような場合に顕著だ。日本は「条件付き援助」を、内政干渉の類として避ける傾向があるらしいけど、別に、それくらいいいんじゃない…?

・自助努力の助け
そもそも、もともと自助努力で出来ていたなら、貧困や紛争に陥ったりはしないわけで(国際社会の余計な手助けが原因のこともあるけどね)、そう言う国に「自分で勝手にやってなさい」というのは、ちょっと人でなしなんじゃないか。それに最近はSustainabilityやEmpowerment (Education) といったキーワードを用いて、自助努力をサポートする形の援助が主流になってきている。

ここで注意したいのが、「援助なんて自己満足だ」という意見に反論するつもりはないと言うこと。自分だって、高校時代に見たドキュメンタリーがこの分野に進むきっかけだったけど、それはつまり「もう悲劇は見たくない」「それに自分が関わりたい」という自分の欲求なわけで(「国連勤務でウハウハしたい」とかは取りあえず無視 笑)。えぇ、援助なんて富者の自己満足ですよ。でも、それはどの分野でも同じことで、別に批判されるべきことではないと思うけどな(実際に役に立っていなかったらそれは勿論批判されるべきだけど)。

ちなみに、逆から見ると、つまり現地サイドやNGO、国連側から見ると、日本人というのは「日本の援助(つまり金)を引っ張ってくるため」に必要らしい。現地人専門家(伊勢崎さんによると、絶対にいるそうですよ)に比べたら地域専門性も弱く、現地の言葉や文化にも精通していない「外国人」なんて、まぁ、そう言う意味でしか望まれていないのかもね。残念ながら。そして幸運にも。