Saturday, January 31, 2015

初の一人飲み会 於ヤンゴン

ヤンゴンで最近ようやく自炊を少しずつするようになったので、一人飲み会を敢行。余裕が出てきたということか。

メニューは、右下から時計回りで

•鶏ももと大根の煮物
→大学時代からの定番。簡単で美味しくて風邪予防。
•アスパラ
→結構いいのがあった。適当に作った、柚子胡椒とクリームチーズのソースがうまかった。そりゃそうだろう(日本酒と塩とお酢で微調整)。
•黒米とシソ昆布
→健康に良い黒米はミャンマー原産らしく、ものすごく安いので日常使いしてます。ただ、どうも糠臭いので、黒米1対ジャポニカ米2と香り米(バスマティ)1の割合で混ぜて、さらに日本酒とか色々。ここに至るまで、試行錯誤の六ヶ月間、ようやく美味しく炊けるようになった。シソ昆布は職場のお土産。
•らっきょう(鰹節和え)
→韓国スーパーで発見。日本酒に不可欠なので嬉しい。日本のほどシャキシャキしてないし、そもそも一番好きな塩ラッキョウでは無いけど、贅沢は言えない。鰹節もそこで売ってて助かる。
•エノキと人参とツナのマヨ和え物
→この組み合わせで不味くなる訳が無く、良い。ただ、エノキを茹でてしまったのと、人参をレンジし過ぎたのが後悔。普通に炒めた方が良かったはず。
•ウニのコンソメジュレ
→お土産の缶詰。コメント無し。
•冷奴(ネギ、鰹節、山椒ジャコ)
→生で食べられる豆腐があるのは嬉しい。ジャコはお土産。
•オリーブとチーズ
→常備品。黒胡椒かけるのはアリです。
•さやいんげんの梅味噌和え
→さやいんげんは味噌汁か胡麻和えしか思い浮かばなかったけど、クックパッド様の導きで新メニュー。美味しいけど、さやいんげんの皮が日本より固かったから、炒めた方が良かったかな。
•サラダ菜とラディッシュ
→ラディッシュが柔らかくて微妙…。異国での野菜選びは難しい。

イギリス留学と比べると、開発の度合いで言えば全然あの時の方が当然進んでいたけど(先進国と最貧国ですから)、手に入る日本食製品は今の方が100倍多い。ヨークには、醤油とインスタントラーメンしかなかったもんなあ。不思議な感じ。

なお、お酒は開運純米吟醸と宝山コシヒカリ純米吟醸です。冷。コシヒカリは、少しポッタリとしてあまめだけど、意外と普通。多分それが凄いこと。

備忘録 走って痩せる

時速10km(6mile)の消費カロリーは660kcal

脂肪1kg燃やすのは7000kcal

つまり、体重1kg落とすためには10.6時間、106km走れば良い。

言うは易し!

Thursday, January 29, 2015

日本酒の通販

2月に駆け足一時帰国をすることになり、その時に調達する物品を注文中。
雑貨とか本とかは全てamazonで揃ったので良いのだけど、毎度のとおり、日本酒が問題。

どういう訳か知らないけれど、メジャーな銘柄でさえ、概ね揃えているお店というのが無い。もちろん、楽天で検索すれば基本的にはどのお酒も出てくるのだけど(一般的に入手困難と言われる田酒なんかも。)、幾つか揃えようと思うと複数のお店になってしまう。

そうすると、購入手続きや受け取りは面倒だし、まとまらないから送料も高くなってしまう。ちなみに、今回自分が買ったのは
・鶴齢
・旭興
・開運
・楯野川
・水芭蕉
・舞姫
・大信州
・雪の茅舎
(※)

だけなのに、それでも3つの店から注文せざるを得なかった。お酒の販売は、その他分野に比べたら規制やしがらみが多いだろうし、そもそも全国2000近い酒蔵(更に、銘柄で言えばその数倍)の商品全て揃えるのは現実的では無いからだとは思うけど、何かもっと良い方法はないだろうか。
(行動力のある人はここにビジネスチャンスを見出して起業できるのだろうな。)


※ミャンマーに来たときは、色々なお酒が飲みたくなるかも、と割と種類豊富に持ってきたけど、結局自分の好きなものしか飲み進まないので、今回は本当に好きなものだけにした。

Saturday, January 10, 2015

表現

表現の自由が、人々にとってとても大事なもので、先人が命をかけて勝ち取って来たものだということは分かる。ここで好きなことを書けるのもそのお陰だし、現代社会の基盤だとも理解している。しかし、自分が個人として、表現の自由のために命をかけられるか、と問い詰めれば、多分、正直、命の方が大事。表現の自由のために本当に命をかけられる勇敢な人はどこにでもいるだろうけど、それは多数派だろうか? フランスでは多数派のように見えるけど、それは本当に、本当にそうなんだろうか? (ぶっちゃけ選択というより、調整の問題では無いかとも思う。)

Thursday, January 08, 2015

Je suis Charlie?

フランスの風刺新聞社襲撃事件。
テロによる問題解決は全く非難すべきで、擁護できるところは当然ながら何も無い。ただ、それとは別の次元の話として、この新聞社や、元になったイスラム風刺画に全く問題が無かったかと言えば、必ずしもそうではないと思う。

http://www.hoodedutilitarian.com/2015/01/in-the-wake-of-charlie-hebdo-free-speech-does-not-mean-freedom-from-criticism/#sthash.flqGF0XT.7DcqM9tI.dpuf

このリンク先を読む限り、正直、風刺画は酷い。論評にも書かれているけれど、イスラム過激派を非難・風刺するというお題目があることは分かるけれど、単純にマホメットを馬鹿にしているだけのものが多く、これでは単に「多数派であるキリスト教徒が少数派のイスラム教徒を馬鹿にしている」という構図にしかならない。これはアウトでしょう。

ただ、フランスの風刺文化は非常に根強く、「笑いを理解しない方が悪い」という意識が強い。以前、フランス人とつきあっていたときもそれは強烈で、それが原因でけんかしたことも度々。(例えば、震災や被災者を笑いの対象にする。)

しかし、それはあくまでフランス人文化の話であって、国内少数者であるイスラム教徒に配慮しないのは、単にignorantなのでは無いか。

そもそも、リベラルと寛容というのは、似ているようで違う。

リベラルであることが国是であるフランスにとって、自由や個人の権利、平等を認めない(一部の)イスラム教徒や移民を非難・排斥するのは難しくない。欧州で台頭している極右思考は、実のところこの意味でリベラルだったりする。

本当に寛容であるならば、過激派は除き、自分たちの価値を共有し得ない者も認めることが必要なのではないか。もちろん、彼らに関して風刺をすることを原則として排除することは出来ないけれど、すでにマージナライズされている者を風刺することに、どういうリスクがあるのか、しっかり考えているとは思えない。

今すべきことは、上の論評にもあるとおり、「Je suis Charlie」「ペンはカラシニコフより強し」といって風刺やイスラム批判を強めることでは無く、同じような問題が起こらないようにするための根本的な対策なのではないの。かといって、それが風刺文化の自粛や自制につながるようだと、反発も大きいからだろうけれど、それは現代に必要な痛みなのかもしれない。多民族共生は、言うほど容易くない。

どこかで読んだ一節を借りて

100の山に登るよりも、八ヶ岳に100回登りたい。

新年の抱負

昨年の抱負「仕事で死なない」が何と叶ってしまった!
今年は少しハードルを上げて、「早寝早起き」と「鬼女速を読み過ぎない」にしよう。