Wednesday, December 22, 2010

「恥」

「私たちの生活インフラの整備のため、陽の当たらない地下で働いてくれている人がこんな形(タロウ註:2008年の豊島区下水工事中に鉄砲水で流されてなくなった事故)で死ぬと、私の中にまた『恥』の感覚がわき起こる。それに比べ、私の生活は安楽すぎるのではないか、と。(中略) 『勝ち組』と称して我が世の春を謳歌している人々には恥の感覚がない。私はいつなんどきでも、負ける側に立っていたい。」

(森まゆみ「貧楽暮らし」 p.172)

自分の築いたもの、勝ち得たもの、地位、性質、そういうものに自信や誇りを持つのは悪いことではない。ただ、それが、「そうではない人」の犠牲の上に成り立っているということを認識しているかどうかが、「恥の感覚の有無」なんだと思う。

正直、自分は「恥」の感覚は希薄だと思う。このブログに、「合格した」なんて書く位だから。極力「いい話」「悪い話」「ラッキーな話」「アンラッキーな話」「真面目な話」「不真面目な話」のバランスは取ろうと思っているけど、それは「恥」の感覚のせいではなく、単に同じような話だけだと何となく座りが悪いから。

そういうときにこの文章にめぐり合ったのは、やはり幸運というものだろう。

自分が「勝ち組」だとは死んでも思わないし(っていうか勝ったら負けると思ってる)、我が世の春を謳歌もしてないけど、もしかしたら他人からはそう見えているかもしれない、というのには気をつけたい。

(ちなみに森まゆみのエッセーはやはり面白い)