Friday, January 12, 2007

真面目キャラ

日本では、人に対して「○○キャラ」と最近よく呼ぶようだけど、それってどうなんでしょう。ボケキャラやら、毒舌やら、A型やら、SだのMだの、天然(おえっぷ)だの。

本当に馬鹿なバカキャラなんて当然いるはずはなくて、もしいたらそれは単なる馬鹿。そんなことは実はみんな分かった上で、ロールプレイをしているのだろうか。「キャラ」とふいに現れる「本心」だけで相手を確定してしまうのは、とても浅いしつまらないと思うんだけどな。それにあくまで表面的なはずな「キャラ」を、自分の性格だと信じ込んで、自らを限定してしまう気もする。最近周りにそんな人増えてませんか?

「円滑なコミュニケーション」や「和」を重視すると、そういうお手軽なツールが便利なんだと言うことは分かるけど…。

かくいう自分も色々な場面で色々な「キャラ」を言われたことがある。別に「○○キャラ」と言わなくても、やれ君は真面目だね、君はバカだね、Sだね、のりが悪いね、実は面白いね、冷酷だね、etc etc. あーあ、どうして人の性格なんて言う、多面的かつ流動的なものを定義づけたがるんだろう。

ちなみにそんな場面の自分の決め言葉は「全部演技ですよ~~」。同じように感じている人がいたら、是非使ってみて下さい。まるで実は表面には現れない奥深い側面があるように見せかけ、しかもそれをその人「だけ」に「特別」に教えてあげているように聞こえるけど、その実「私は嘘つきです」という文章と同様、意味をなさないんだよね。もし相手がそのことに気付いたら… 嫌われるか、一生付いていくか(笑)

ただまぁ、キャラの意味の無さは、「会社員」や「帰国子女」や「日本人」や「男」の意味の無さと同類のモノだけど、そこまで行くとちょっと深入り過ぎなので、止めておこう。

自らのアイデンティティーを世界に開け、とグリッサンは言いました。