SDGs自体は、それに向かって善なる行為が増えるなら別に良いんじゃない、行為の中長期的な影響は考えてほしいけど、という立場で、殊更反対するのは露悪的・偽悪的かなと思うんだけど、なぜ日本でばかりこんなに取り上げられているのかには興味がある(たまに世界各国のニュースを見てても、SDGsなんて聞いたことない)。高校生が地域おこしするのも、企業がアフリカ進出するのも、老人会が草取りするのもSDGsのためですか、そうなのか。
意識が高いのかとか、国際機関が好きなのかとか色々考えたけど、結局、「日本では一般的に目立つ人やコトが嫌い」だから「目立ってしまう良いことをするのには大義名分が要る」しかし「誰もが納得する大義名分を考えるのは大変」だからお手軽な大義名分SDGsに飛びついたという仮説に至った。しかしそれってある意味、考えることの放棄じゃないのかな。自分がしっかりと考えて、正しいこと、善いことだと確信できたのなら、1,000万人が反対してもやればいーじゃん。
自反而縮雖千萬人吾往矣