外務省受けた時もそうだったな…。
Wednesday, May 18, 2022
Tuesday, May 03, 2022
SDGsから高校生
SDGs自体は、それに向かって善なる行為が増えるなら別に良いんじゃない、行為の中長期的な影響は考えてほしいけど、という立場で、殊更反対するのは露悪的・偽悪的かなと思うんだけど、なぜ日本でばかりこんなに取り上げられているのかには興味がある(たまに世界各国のニュースを見てても、SDGsなんて聞いたことない)。高校生が地域おこしするのも、企業がアフリカ進出するのも、老人会が草取りするのもSDGsのためですか、そうなのか。
意識が高いのかとか、国際機関が好きなのかとか色々考えたけど、結局、「日本では一般的に目立つ人やコトが嫌い」だから「目立ってしまう良いことをするのには大義名分が要る」しかし「誰もが納得する大義名分を考えるのは大変」だからお手軽な大義名分SDGsに飛びついたという仮説に至った。しかしそれってある意味、考えることの放棄じゃないのかな。自分がしっかりと考えて、正しいこと、善いことだと確信できたのなら、1,000万人が反対してもやればいーじゃん。
自反而縮雖千萬人吾往矣
基本的に
基本的に、そんなに悪くも良くもない人間だと自認しているけど、小学生の頃を思い出すと、信じられないくらい悪人だったことがある。最低なのは、確か小3くらいの時、クラスの掃除が班別で、帰りの会で何かどこかの班の掃除に問題があるとその班の点数が引かれる制度だった(今思えば、なんて制度なのか…)ときに、あえて掃除の前に他班の担当だった黒板にチョークで強めに線を引き、帰りの会で「まだ線が見えてます!!!」と告発をしたことかもしれない。あと、拾ったゴミの数を競う場(これもなんてことだ)で、自分が拾った紙ゴミをちぎって数を倍増したこともあった。
今でも、ともすれば利己的な理由のある正義感に流されそうだったり、実際流されたりしている。
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