Sunday, February 24, 2019

旅の感覚

海外旅行をして、例えばエチオピアやミャンマーのど田舎にも泊まったり、南半球の国とかにもそこそこ行ってみたり、自分の中で海外旅行に関して何が期待できるのか、逆に何に驚くのかということの感覚がようやくわかってきた気がする。

人間が生活する場所や、極地以外の環境において、基本的には変わらないものがある。卑近な例で言うと、食事は大体、何らかの炭水化物と、何らかのタンパク質からなる。それが、米だったりじゃがいもだったり麦だったり、牛だったり豚だったり魚だったり豆だったり、また、それをどう料理するかとか味付けは全然違うけど、一定量の塩を使うことなんかは当たり前だけど変わらない。それはもう、健康維持から必要だから当たり前なんだけど…、つまり最低限のレベルで最適化されていて、中長期的なグローバリゼーションによって普及していると。

人の生活様式や建築物の構造、考え方も、土台となる基本部分が基本大体同じで、その上にいろいろなバリエーションがある。人類学や社会文化の入門中の入門を少しかじった時に、確か同じようなことをもっとまともな言葉で勉強したような気もする。それがようやく実体験として骨身に染みてわかってきたのがこれまでの旅の収穫の1つかな。

ただ、観光客や外部者が一人も入ったことがないような秘境の村だったら、例えば人間の寿命は30年くらいで、そのために食生活や文化の調整もされてないところもあるかもしれないけど、とりあえず、そういうところに行く予定も希望もないから、本当の意味で旅行で衝撃を受けることはもうないのかもしれない。